私がこの仕事を目指すきっかけになったのは、母方の祖父の存在でした。
祖父は終戦直後から隣町の寄居町で指圧院を開業し、いつも大勢の患者さんが訪れ、皆喜んで帰っていったものでした。私の両親は共働きで忙しく、子供の頃は祖父母の家に預けられていて、赤ん坊の頃は、脱衣籠の中に入れられ、そこからじっと治療の様子を見ていたそうです。
祖父の背中を見ながら育ってきた私は、治療家への憧れを抱くようになりました。
そんな環境でずっと育ってきたので、「自分も大人になったらこの仕事するんだ」と何の疑問も持たず成長してきました。後で母から聞いたところによると、祖父や治療家という仕事に憧れを持つように環境を整えていたそうです。今となっては、治療家になるきっかけを作ってくれたことに感謝しています。
高校卒業後、資格取得のため日本指圧学校に入学。
在学中の3年間は、午前は学校、午後は祖父の治療院で修行という日々。
往復5時間の通学は大変でしたが、貴重な勉強&読書の時間でもありました。
同級生は18歳から70歳。初めて大人の人と接する機会となり、年上の人、親以上の年代の人といっしょに勉強できたのはとても刺激的で、時には授業以上に良い経験、勉強となりました。良いことも、良くないこともいろいろ教えていただき、忙しくはありましたが、充実した日々でした。
国家試験は一発合格。
資格取得後は本格的に修行が始まったのですが、一つ問題がありました。
それは自分の身体の事です。
私は子供の頃から肥満児で、体重はどんどん増え続け、100kgの大台目前。
学生時代は柔道をしていましたが、その当時は何の運動しておらず、食事量は以前のまま。
当然の結果です。
そんなある時、ちょっとした事件が起こりました。
20歳くらいの頃です。ある日急いで駅の階段を駆け上った時、強い動悸に襲われしばらく動けなくなり、「やばい、このままじゃ死んじゃうかもしれない。」
今思うと大袈裟ですが、その時は本当に死の恐怖を感じた瞬間です。
それまでは中々ダイエットに踏み切れなかったのですが、さすがに死の恐怖を感じると真剣になります。
この時の思いで一念発起、本気でダイエットを始めました。
まずは今までの生活の見直しと、栄養学の勉強。
それとスポーツクラブに入会して、身体の鍛え直しです。
始めは減量目的だったのが、途中で運動をすること自体が楽しくなり、特にウェイトトレーニングのおもしろさに気づいてからは、減量そっちのけでのめりこんでいきました。
10年の月日をかけてなんとか体重は減り85Kgまで減量しましたが、その間は成功と失敗の繰り返し。ただそこからが大変で、なかなか85㎏の壁が超えられません。
そこでもう一度栄養学を勉強し直し、低糖質ダイエットに挑戦!
今でこそ普通に行われていますが、これを行った2000年くらいの時はロクに情報もなく、試行錯誤の毎日です。これで何とか85Kgの壁を突破し、自分の標準体重である67Kgまで落としましたが、今度は減らしすぎて体調を崩し低体温に。
今思えばこれは低カロリー食の悪影響。一気に代謝が下がってしまいました。
ひどい時は平熱が35度を下回り、肌はガサガサ、髪はパサパサ。典型的な低体温の症状です。冷えのつらさを初めて実感した時です。
再度見直しを行い、1年半をかけてようやく健康的な身体に。
この経験のおかげでダイエットやトレーニングに関する深い知識と経験が得られました。ジム通いは今でも続いていて、大切な趣味の一つです。
祖父の技を学び、順調に治療に従事していたのですが、ある日、祖父に癌が見つかり入院。
癌はよくなったのですが、平成15年、今度は脳梗塞を患い85歳で他界。
倒れる寸前まで治療室に顔を出すくらい元気だったのに信じられない思いでした。
治療院が手狭になり、広いところに移ろうと計画していた矢先のことでしたので、新しい治療院を祖父に見せてあげられなかったのが残念です。
今現在はさらなる技術と知識の向上の為、休診日の日曜日木曜日を利用して毎月2回以上の研究会、
セミナーに出席しています。
そのおかげで多くの仲間と共に、知識や技術を身に付けることができました。
この身につけた技術や知識を、少しでも皆様に還元できるよう努力してまいります。
地域No 1治療院を目指し、地域の皆様に愛されるよう頑張って行きますので、よろしくお願致します。